イスラム文化論-イスラム文明と私たち [アラビア語通訳のエリコ通信社]

 板垣雄三先生は、日本人の見当外れに警鐘を鳴らした好著「イスラーム誤認」(岩波書店)の中で、次のように述べている。

 「…非常に悲しいことですけれども、日本の大知識人が『私はイスラームのことはよく知りませんので』と言ったりして、誠実かつ良心的に振る舞うふりをして、むしろ無知を自慢するようなことも見られるのです。本当はイスラームのことが分からなければ、欧米のことが分かるはずがないのです。だから、『私はイスラームのことは知りません』と言うのであれば、『私はヨーロッパのことも分かっていないのです』と告白しているようなものです。ところが、そういう人に限って、『自分は西洋文明を知る第一人者だ』と、内心、自信を持っているのでしょう。」

 私にも、全く同じ経験と感慨があり、ハタと膝を打った。十年程も前、私が社交の席で、「中東やイスラムのことを専門にしています」と言うと、「恥ずかしながら、私はその方はからっきし勉強が足りませんで、ハハハ…」といった反応に出合うのが普通であった。そういう反応をする人は大体次の二種類に分類できた。そもそもイスラムなどには全く関心を持っておらず、従って私との出会いに何の意味も見出せない人か、「ああ、知らなくて良かった」と、普通(!)である自分の幸運を再確認する人であるかのどちらかである。

 ところが、最近では少し事情が変ってきた。かつては、何の関心も持っておられなかった方々が私の顔を見ると、向こうから寄って来て、「アメリカはウソをついているようですが、本当のところはどうなっているんでしょう?」と熱心に聞くようになった。

 本章のテーマは、「イスラムのことを知らないということは、ヨーロッパのことも分かっていないのと同じだ」という板垣先生のご示唆の意味を探ることである。イスラム文明は人類の文明史においてどのような役割を演じ、今日、私たちが強く影響を受けているところの西洋文明に対してどんな関係にあるのだろうか。

(中略)

*

 西欧文明の強い影響を受けている現代芸術を専攻しながら私の講座を登録した学生諸君、また数ある書物の中から本書を選んで手にされた読者に対し、私は保証したいと思う。イスラムのことを学んで損をすることは少しもない。皆さんは正しいコース上を走っているのだ、ということを。

 かつて、中東やイスラムのことを研究するのは、いや単に知ろうとすることですら「酔狂」であった。まともな人生を送るには、決められたルールの中で、決められた勉強だけをしておけばよい、幸せな時代があった。われわれの「ご主人様」であり、目標であった西欧社会が発信する外向けの情報を集めることが、われわれにとって唯一必要な勉強だったのだ。そんな社会環境の中で、西欧文明以外に目を向けることは趣味の世界であり道草であった。それができるのは、競争社会を生きる必要のないまでに「エスタブリッシュ」した人か、酔狂のどちらかであったのだ。しかし、中東・イスラムを顧みないでおいても良かった幸せな時代、いや薄っぺらな発展を追い求めれば足りた時代はもう去ってしまったことを理解しなければならない。そうでなければ日本の明日はないし、諸君のより良い未来もない。

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イスラム文化論
(多摩美術大学の講義)

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