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エジプトの混乱に学ぶ

22日、エジプトのムルシー大統領が「憲法宣言」と呼ばれる強権発動ともとれる決定を発表したことから、エジプトの政情不安が非常に高まっている。その原因と見通しについて、とりあえずの考察をした。

<政治力学的見地から>
大別して、①軍エスタブリッシュメントと旧政権エリート、②ムスリム同胞団及びイスラム過激主義者、③自由主義者・市民勢力・革命青年勢力の三つ巴の戦いとモデルを単純化しよう。チュニジアで吹いた春の嵐は瞬く間にエジプトに飛び火し、予ねて反政府運動を繰り広げていた③の勢力が最初に立ち上がった。そして、①に首根っこを押さえられていた②は、千載一遇のチャンスと見て③に加勢した。②はその動員力と数が圧倒的であるため、①は強権で押さえる手法を得策とせず、②に表向き主導権を握らせて、陰の将軍となる選択をした。いわばトカゲのしっぽ切りで、ムバラク一家は放り出された。この体制に米政権はお墨付きを与えた。ここまでが第一幕。

①②③という分け方とは別に、イスラム過激主義対世俗主義という闘いがある。②がその存立の目的であるイスラム法に基づく国家作りを憲法改正で一気に実現しようとしているのに対し、①③の構成要員は基本的に世俗主義である。神の名による独裁を許せば、③は何のために自由を求めて立ち上がったかわからなくなるし、①はこれまで弾圧したことへの復讐を受けて粛清されると怯えている。そこで両者には共闘関係が見られる。

②は、憲法改正前に行われた選挙で議会と大統領を選出しており、憲法起草委員会も支配、このまま行けばイスラム法に基づく憲法を制定できる。これに対して、①③の勢力はエジプト司法が持つ違憲立法審査権で、議会、大統領、起草作業、こういったものをすべて無効にする戦略をとり得る。そこで大統領は先手を打って、司法の権限を台無しにしてしまうこととした。これが「憲法宣言」の意味である。

①勢力(+世俗主義者)の期待を担って大統領選を戦ったシャフィーク氏。
僅差で敗れ、UAEに逃亡した。同胞団は逃亡に目をつぶった。
写真は、同氏を支持するフェイスブックのページより

<法学的見地から>
革命は起きたが、エジプトではチュニジアのようにまず制憲議会を開いて憲法を制定し、これに基づく議会選挙を行うという手順が踏まれなかった。軍が管理する中でまず議会と大統領の選挙が行われ、憲法改正は後回しになった。現状は、軍が非常事態を宣言しているわけではなく、「公正な選挙」で選ばれた大統領と議会が、古い憲法の下で移行的な政治を行っている。その中で、新憲法制定までの間、必要に応じ大統領が憲法に代わる「宣言」を出す、というのはあながち悪いことではない。

しかし、今回の宣言は、(1)大統領の決定を司法が破棄することはできない、(2)人民議会、憲法起草委員会の解散は認めない、(3)大統領が国が脅かされていると認めるときは必要な措置を取ることができるといった、ほぼ「独裁者宣言」のような内容になっている。また、同時に大統領令を出して、旧政権の犯罪追及に弱腰だった検事総長を解任、交代させ、旧政権の残党は犯罪者として裁判をやり直す、と宣言してしまった。

これに反発した世俗主義者(上記の③+①)と大統領支持派(②のイスラム過激主義者)が衝突し、白昼殺し合いをするほどの治安悪化に陥る懸念が十分高まったため、司法最高評議会(法曹の最高機関)は、大統領への反発の態度を緩め、助け舟を出した。それが「大統領決定の(司法判断での)不可侵性は主権事項に限られる」という解釈を大統領が認めよ、という提案であった。ムルシー大統領は、この歩み寄りによって窮地を救われ、これを受け入れると同時に「憲法宣言は憲法改正までの一時的な措置である」点を強調した。これによって27日に予定されていた両陣営の「百万人デモ」が大衝突に発展することが回避された。

司法最高評議会とは、日本で言えば最高裁と同じ立場である。「大統領決定の不可侵性は主権事項に限られる」とはどういう意味か。それは、我が国でもかつて議論となった「統治行為論」(長沼ナイキ訴訟など)を想起されるとよい。違憲の疑いがあっても、それが国民の付託を受けた政府の重大な「統治行為」である場合、司法は判断を遠慮するというのが正しい民主主義だ、ということである。つまり、今回エジプト「最高裁」は、統治行為と判断されるほどの重要決定については異議を挟まないので、「何でもかんでも大統領の言うとおり」という宣言だけはやめてくれ、と申し入れ、大統領が、もちろんそのつもりだ、と応じたということなのだ。

<今後の展開見通し>
大統領選挙の僅差決着という結果からも明らかなように、エジプトは中東でも稀な信仰心の篤い国民の社会であるが、同時に、世俗主義の重要性、自由の重要性をよく理解する勢力も力を持っている社会である。したがって、ムスリム同胞団は、この機に乗じて強権支配を達成しない限り、再び弾圧される危機に瀕しており、どのような手を使っても強権支配に向かおうという行動を今後もとるだろう。一方で、エジプト社会がイスラム法による支配・不自由に甘んじ、世俗派が黙っているなどということは有り得ない。したがって、基本的に両者は今後も対決を繰り返す。この対決が明らかな治安混乱を生ぜしめるときは、軍が介入し、軍事政権となる。つまり、結局は、強権によってしか、この国を治めることはできないということだ。これが第ニ革命の結論になるだろう。この方向性の亜流としては、世俗主義の「自由将校団」が出てきてクーデターをするというのもある(第ニのナセル)。

ただ、今回のように話し合い決着で危機を回避する、という理性も当然ながら働く。イスラム過激主義者自身が世俗化する、というプロセスを経れば、名前だけのイスラム政権存続という現象も考えられる。地域のスンニ派諸国(サウジ、カタール)や米国は、現状ではこの方向性を願っているように見える。(J)

シリア情勢とイスラム過激主義者

シリア情勢とイスラム過激主義者:

「アルカーイダや過激派部隊がシリアで戦っている」というレポートが昨年​から報告されているが、「国際社会」は無視していた。米、仏、トルコ、カタール、サウジアラビアなどの国は、「自由シリア軍などの、政府軍と対戦している部隊は民主主義と平等のために戦っている」と主張している。米国は2001年から11年間アルカーイダと戦ったが、奇妙なことに今は彼らと同盟しているかのようだ。おかしなことではないか。

  もちろん、民主主義のために戦っている人たちがいることを否定するものではない。しかし自由シリア軍のメンバーの写真や、旅団に固有の過激な名前、そしてナイフで殺害している映像を見るとイスラム過激主義者の影響をはっきり見ることができる。

 アフガニスタンやイラクで米国(クッファール:不信心者)と戦ったウズベキ​スタン人、チェチェン人、パキスタン人などはシリアで再びクッファールと戦うために徐々に入国してきた。しかし、シリアで戦う外国人の中で一番多いのはリビア人とチュニジア人、そしてサウジアラビア人である。また、湾岸諸国のサラフィー主義者、ワッハービー派は資金と武器両面で武装勢力を支援し​ている。レバノンとリビアにある過激主義者のグルーブを通じてこれらの支援をシリアに国内に紛れ込ませている。

 そもそも近代的な法律や憲法、そして基本的人権のない国(例えばサウジアラビア)がシリアの民主主義を支援しているとは噴飯ものだ。なぜ自分の国の民主主義を進めようとはしないのであろうか?もちろん、シリアに民主主義はほとんどなかったが、宗教や社会的
な自由はそれなりに存在していた。しかし過激主義者にとって、それは大問題だった。なぜなら、過激主義者(特にサラフィーとワッハービー派)は預言者ムハンマドの時代の​暮らし方に戻りたいという考え方を持っており、「民主主義というものはイスラムの価値を崩壊させるためのクッファールの欺瞞」であるとさえ考えている。例えば、サウジアラビアで王様(様!!)に対して変な言葉や意見を
出したら死刑になるのではないだろうか。裁判なしで死刑に処される。信じられないが本当である。

シリアの問題は悪く言われている政権だけの問題ではない。政権が代わっても、内戦はあと何年も続くであろう。シリアには19宗派と10民族以上がある。このようなモザイク国家においては、どんな宗派や民族も、他の宗派と民族が怖い​から自分を守るために武器を持って戦う。かつてはその考え方はほとんど表面化していなかったというのに。

宗教のために戦う人は「自由」の意味を理解することはできない。(A)